2013年7月19日 (金)

おさななじみのこずえちゃんのこと。その2

おさななじみのこずえちゃんのこと。その2

実家の事情で、三日間ほど八戸に帰ってきました。
私が生まれ育った家、土地は、私が大学生のときに父親のリストラなどがきっかけで失うこととなりました。
家を建て替えて、家族が住み始めて幾年も経っていなかったので、高校卒業とともに大学進学のために家を出た私は、自分が18年間住んだ家にさよならを告げる間もなく、しばらく時間が過ぎてしまったことを強く実感しました。
大学生の頃は、寮生活をしていて、また、寮長という責務を負っており、とてつもない環境の悪さに、実家に助けを求めましたが、実家も一番大変なときで、実家に帰ることもできず、家の建て替え、その他諸々に立ち会うこともできず、自分自身も精神のバランスを欠いてしまうという苦しい時期でした。
さらに、家を失い、家族もバラバラになってしまうということは、私にとっても無念でならないことでした。
私が八戸に帰省するときは、祖母の知り合いを頼って借家に祖母、父、弟が生活しているところに泊まっていて、勿論泊まる専用の部屋もないので、仏壇に足を向けて狭いところにぴたっとはまって寝るという状態で、だいたい体が痛くなります。
ここ、数年のあいだに、もとの家のお隣さんだったひとつ上のこずえちゃんが亡くなったという噂をききました。
同級生の人も、同じ部活の人も死亡広告で知ったらしく、詳細は誰も知りませんでした。
近年、パニック障害などを持っていて、仕事に出られないでいるということもきいていましたので、何か、不穏な死をとげたのかと、いろいろ想像しました。
こずえちゃんはほとんど男みたいな女の子で、いつの間にか毎日一緒に遊んでいました。
学校から帰ってきたらまず、一緒にこずえちゃんの家で宿題をして、(なぜかこずえちゃんのぶんまでやらされていたような気もします。)遊びに出かけます。遊ぶ場所は近所の保育園か、空き地か、ドブ川です。
こずえちゃんは男らしく生きることを私に強要してきて、私もなぜかそれに従っていました。「アホアホ体操」というアホな体操をあみ出して近所のみんなにやらせたり、変な儀式をつくってキモ試しのようなことをしたり、こずえちゃんはいつもおかしなことを考え出してアホみたいに笑って毎日遊んでいました。
小学校四年生くらいのときにこずえちゃんから、「ノストラダムスの大予言」を聞かされ、おそらく、人生で始めて、人間は死ぬんだ。ということを実感しました。
それから、こうしちゃおられん。と、私は、猛烈にマンガをかく時間に全てを捧げだし、(マンガ家になりたくていつもマンガをかいていました。)こずえちゃんたちとは一切遊ばなくなりました。
たぶん、それから、こずえちゃんとはそんなに接点がなくなってしまいました。
しかし、なんとなくは気になっていましたし、私の幼児期の人格形成は、こずえちゃんによってされたといっても過言ではありません。
ふと、お線香をあげに行こうと思い、今回、誰かおうちにいるのかどうかもわからないけど、行ってみようと思って出向きました。
足の悪くなった祖母が、「私の代わりに持って行って。」と、お香典を私に預けました。
こずえちゃんと、最近亡くなった近所の祖母の友人の静江さんの旦那さんの分とということでした。
こずえちゃんのおばあちゃんか、静江さんに会えれば、どちらかに渡してくればいいよ。とのことでした。
雨のなか、とことこと歩いて、私はもと実家の場所へ向かいました。
こっちの道はどうなっているだろう。こちらはどうだろう。と、ちらちら見ながら歩いて行きました。
以前も帰省の際に来てみたことがありました。
自分の家だったところに別な人が生活している違和感を受け入れられずに、なんとなく虚しい気持ちで帰ってきた覚えがあります。
しかし、今回は、ゆっくり踏みしめながら歩きました。
でも、やっぱり自分の家だったところには足を踏み込めずに帰ってきました。
そして、なぜだか、涙が溢れ出てきました。
今回の帰省の理由も相まってですが、家がなくなってから、なんとか家や家族を取り戻せないかとそのためには自分が頑張らなければと走ってきましたが、あっという間に10年以上が過ぎ、何もできていない自分の不甲斐なさというか、戻らない環境への悲しさというか、この場所にきちんとお別れできずに走ってきた自分の今だとかが、一挙に溢れ出でしまったのでしょうか。
とにかく、気を取り直して、こずえちゃんの家に行ってみると、誰もいないようでした。
こずえちゃんのうちの前に立つのは、もしかしたら、小学校四年生以来で、自分でも全く覚えていなかったこずえちゃんの家の前のちょっとした構造物に懐かしさを感じました。
お向かいのおうちにきいてみたら、こずえちゃんのおばあちゃんも亡くなってしまって、息子さんがたまに来ているくらいで、誰もいないとのことでした。
静江さんのおうちをきいて、そちらに向かいました。
静江さんはご健在でした。
子どもの頃に見ていた静江さんの印象よりは、だいぶお年を召していましたが、元気な調子は全く変わっていませんでした。
こずえちゃんの最期の話をきくことができました。
こずえちゃんはお酒を飲むのが大好きだったそうで、しかも豪快にお酒を飲むそうで、職場の方たちと楽しく飲んで、帰宅して、こたつに入ったまま、心臓発作のようなことで亡くなったとのことでした。
今となっては、笑い話のようにもなっていて、心を病んで亡くなったのではなく、子どもの頃のあの豪快な印象でそのまま逝ってしまったのだときいて、安心したというか、らしい。というか、胸のつっかえが取れたような形で、帰ってきました。

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こずえちゃんとよく遊んだドブ川は今は舗装されています。
でもあとはそのまま。
かっぱがいるだとか、柳の下に幽霊がいるだとかいって遊んでいました。


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こずえちゃんの家の前にあるちょっとした構造物に懐かしさがこみ上げました。


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2012年1月30日 (月)

もう会えない友人のこと。

時々数年前に自ら命を絶った友人のことを思い出します。

強烈なキャラクターの持ち主で、一緒に馬鹿なことばかりやっていたことしか思い出せません。

上京するとき、一緒にアパートを探したり、いろいろ世話をしてくれたりしました。

わたしが、くよくよしたり弱いところを出すと、いつも彼女に怒られていました。

でも、その怒られたことが、仕事のふしぶしやピンチのときにいつも思い出されるのです。

私は、彼女が死にたいといったときに、逆に怒りました。

彼女もものをつくりだす仕事をしていたので、「まだ歴史に残るもんつくってないだろ!!」と怒りました。

「うつ病に頑張れというな!」と逆に言われましたが、そんなやりとりをできているときはまだよくて、いつのまにか彼女はもう会えない人になっていました。

アパートを決める時、お金がなくて、「お金がない・・」とつぶやいたら、

「契約とか、何か決断するときにお金がない。と決して言うな。」と言われました。

これは、今でも、大きい仕事がきたときに、心の中ではビビっていても、彼女の言葉を思い出して、自信を持ってうけることにしています。

上京したてのころ、わたしは、わからずに宗教に入りそうになったことがありました。

駅で手相を見るあの方たちです。

手相を見られてその見てくれた人が八戸出身で、共通の友人などがいて盛り上がったので、飲み屋で意気投合したごとく、ついて行ってしまいました。

カウンセリングなのだと思って通っていましたが、あるとき、ここに通っている時間があったら制作の時間に費やしたい。と思い、やめました。

「ここにきても心を許せないなんてかわいそう。」と言われましたが、そういう人たちがかわいそうだと思いました。

一年後、筑紫さんのNEWS23で、「占い集団の実態」というドキュメントがあり、わたしが通っていたところがモザイクで出ました。

知っている場所ってモザイクでもわかるもんなんですね。

にこにこしていたあの人が声を荒げてカメラに撮るな。と怒っていました。

驚いて、ああ、よかったやめて。とほっとしました。

このことを彼女に話したら、やはりひどく怒られました。

「わたしには宗教はいらない。家に帰って嫌なこと全部ノートに書いてわーっと泣いて終わり。」

と彼女。

そのときはぴんとこなかったのですが、最近、ノートに嫌なことを書いて、人にぶつけないようにする。というのを何かで読みました。

それで、彼女のことを思い出しました。

わたしがピンチのとき、悩んでいる時、いつも彼女の言葉がわたしを助けてくれるのです。

彼女から見たわたしは、ひどく純粋な人間で東京ではとてもやっていけないとどこか心配していたところがあります。

でも、そんな彼女の方が心を病んで逝ってしまったのが、まだ不思議でならないのです。

思春期を一緒に過ごし、東京でまた変わらず馬鹿なことをやって、これからどんどん面白く一緒に年を重ねていけたのになあ。と思う一方、

彼女がすごくわたしの近くにいて、背中を押してくれているような気がするのです。


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2009年1月26日 (月)

突然の訃報。

ZAIMでお世話になっていた原総一郎さんが急逝した。
先日、ヨコハマ経済新聞の杉浦さんと山野さんと4人でお食事したばかり、これからのことを熱く語っていた。
前回のZAIM FESTAでもだいぶお世話になって、もちろん今回も原さんには重要なところをおまかせしていた。
とても信頼のできる方で、温和な方だ。

まだ信じられない。

これからのことを一緒に話していた人が急にいなくなるなんて。

わたしは、原さんと初めて話したときのことをとても覚えていて、元気が出たのを覚えている。

それは、ZAIMが今の形態になる前に全館使って行ったアートイベント、「ZAIMオープンフェスティバル」のときだった。
わたしもひとつ部屋をもらって作品展示していたのだが、原さんは入口でパソコンをたたきながら受付をやっていた。
横浜トリエンナーレ2005関連の本やフリーペーパーが置いてあって眺めていて、横浜トリエンナーレのことでなにかしらお話をしたんだと思う。
その流れで、「1回目のトリエンナーレも今回も施工で入ってたんですよ。」と話したら、
「じゃ、今度はアーティストとして参加だね。」と、笑顔で言ってくれた。
その一言から非常に元気をもらえたのを覚えている。

それから何度か原さんと関わることがあったが、そのときの一言にすべてが集約されるような印象を持っていた。

原さんは市民の盛り上がりをまとめるのが仕事で美術の専門家ではないんだけれども。というスタンスでいたのも信頼できた所以だった。

ここに文章を書くということは、訃報を認めるということではあるけれども、とりあえず書かずにはいられなかった。

本当に惜しい人を亡くした。まだ信じられない。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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2009年1月 1日 (木)

雪の記憶。

八戸に帰る何日か前に雪が降ったらしく、かなりの雪が残っている。
わたしが小さい頃はこれくらい降っていたけど、近年では珍しい。
関東にしばらくいると雪を踏みしめる機会もないのだけれど、わざわざ足場の悪い道を50分近くも歩いて待ち合わせ場所までやってきた。
普段はぱっとしない景色でも全面雪で覆われてしまうと、荘厳な景色に思える。
街にたどり着くまでほとんど人に会わなかった。
あまりの静けさにどんどん不安になった。
東北の冬は非常に人の気持ちを落ち着かせるし、変なところに入りこむと、どんどん妄想のうずにのまれていく。
実は非常に制作するのにはベストな環境だ。
ただある一定の持ちベーションを保ち続けるのは大変かも。

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2008年9月15日 (月)

自転車屋さんのおじいさんの記憶

自転車がパンクしたので、いつも行っている自転車屋さんに修理に行った。おじいさんが一人でやっていて、とても腕がよい。「涼しくなってきたね。」と言いながら、おじいさんが黙々と作業し始める。
おじいさんの仕事をじっと待ちながら観察する。
なんとなく、おじいさんの作業しているところと、昭和な自転車屋さんを写メで撮った。
先週の÷3にも載せた。
修理が終わってごきげんになって自転車をとばしてZAIMに行った。
しかし、帰りにまたパンクしていた。おじいさんの腕は間違いないはずなのでおかしいなと思った。
念のため、翌々日、出勤前に自転車屋さんに行った。
なんとなく朝早くからやっている記憶があった。
しかし、店はあいていなかった。
9時まで待ったけれどあかなかったので、仕方がなくひきかえした。
仕事が忙しくて、やっと休みになった今日行ってみた。
すると4分の1くらい自転車屋さんがあいていた。
あいているのだろうか。どうなんだろう。ちょっと声をかけてみようかと、信号待ちをしながら向かい側の歩道で待っていると、一台のワゴン車が停まり、寝台のようなものが置かれた。
嫌な予感がし、その寝台に何が運ばれるのか遠目で見ていた。
すると、中学生か高校生くらいの女の子と、お母さんらしき人が横道から出て来た。
中から仏様とおもわれる、立派な布に包まれたものが運ばれてきて寝台に乗せられた。
そのままワゴン車に運ばれ、扉が閉められると、ご遺族や葬儀屋さんらしき人がいっせいに頭をさげた。
こちら側の歩道にいる御婦人が手を合わせていらしたので、「おじいさんが亡くなられたのですか?」
ときいてみた。
町内の掲示板に貼られていないか探してもないのだが、どうやらそのようだという。
1週間前に自転車を持ち上げたり、すごい力でパンクを直してくれたおじいさんがあの布に包まれていたというのか。
なんとなく呆然として、パンクしたままの自転車をおしてまた家にひきかえした。
もしかしたら二回目のパンクがおじいさんからのサインだったのかな。と思いながら。

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2008年7月21日 (月)

花火大会の記憶

ZAIMで作業していたら外で花火の音が。
屋上に出ようとしたら他の入居者の二人がおりてきて「見えなかったよ〜。」とのこと。
外へ出てみたが見えず。
出店のにせミッキーの方についつい心ひかれたが、さっきまで9001でパフォーマンスのあと飲んでた方たちがZAIMに場所を移すというので行ってみた。
すると、9001でのゆる〜いテンションがまだ続いていた。
「花火見ないの〜?と言うと、
新スポット「ZAIM庵」で花火が見えるらしいから行こうとのこと。
とりあえず景気付けにワインを飲めと言われて飲む。
9001で展示中で本日無事にパフォーマンスを終えたのぎさんと、今年からZAIMに入居した笛田さんとえりもと、ZAIM庵を目指しながら歩く。
時々ビルの合間からのぞく花火を見ながら「もうここでいいじゃん。」とか言って挫折しそうになりながらも、歩く歩く。
坂をのぼってたどりついたZAIM庵ではばっちりと花火が見えた。
お酒や肉をご馳走になりながら、絶景に4人ともども感動してこの幸せに感謝するのであった。。。20080720203655

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2008年6月21日 (土)

梅酒の記憶

梅酒を初めてつけた。
そういえば、大学の寮で、「果実酒愛飲会」という会をつくっていた先輩がいたっけ。
先日ニヒル牛に行って、店主のあるさんといろいろ話した。
あまりにも走ってきて気がついていないこともあった。
自分探しの時期なんです。と言った。
それで、梅酒でもつけてみようかと、、、というと、
「おまえの自分探しはわからん!」と言われた。
お店にきていお客さんも「梅酒は、、、。」となぜか腰砕けになっていた。
いやいや、あまりにも作品をつくることしか考えていなかったのだ。という話をすると、
本を読んでる?
という話になった。
最近の若い子は本を読まないのよね。と。
そして日本がどこと戦争したのか知らない人もいるという。
あるさんはどんな本を読むのかいろいろときいた。
わたしが、最近読んだ本は「源氏物語絵巻は誰がかいたのか」という本だ。
そおおもしろさを熱く語ったのだが、あまり理解されなかったっぽい。


Umesyu

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2008年6月18日 (水)

丸光デパートの記憶

職場の前のちょ〜ローカルなビルで、なつかしいアメを見つけた。
わたしが子供の頃、丸光デパートというところがあった。
建物は今でも健在だが、デパートの名前は変わっている。
そこで、いろんな種類のアメや、ラムネなどを袋に好きなだけつめて計り売りをしているところがあった。
それがいつも街に出ると楽しみだった。
最近、東急ハンズでもそのようなものを見つけて買ってみたが、丸光デパートのそれとはちがって、アメリカのジェリービーンズとかおしゃれなお菓子ばかりだった。
それはそれで楽しかったけれど、そのときは丸光デパートのことは思い出さなかった。
今日、通りがかりにバターボールというアメを見つけた。
あまり普段アメを買わないが、つい買ってしまった。
子供の口にはけっこう大玉なアメだ。
丸光デパートで袋につめたアメだった。
Batarball

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2008年6月12日 (木)

うんこから始まり六ヶ所村で終わる飲み会の記憶

今度9001で展示をしてもらうことになっているのぎすみこさんと泉谷ライブのあともZAIMカフェでだらだらしていると、入居者のセブンさんや今年から入った笛田さんが合流。
そのうち、笛田さんのアトリエで延々と飲んでしまうことになる。
話はアートについてなのだが、笛田さんの作品ファイルを見ていると、子供の造形をしたサラミを来場者が食べるという、なんとも恐ろしい絵面の作品があった。
笛田さんの作品は爽快なものが多いので、グロい作品では決してない。
しかし、何年か前に本当に子供の死体を食べている中国のパフォーマーの写真を見たことがあって、その話になった。
それは違うだろ。と、みんな。
あるとき、のぎさんはある作家が美術館にうんこをした作品を見たことがあるという。
ただ、びっくりさせればよいというのはアートではないし美術ではないという全員一致の考え。
逆にそういうフェチの方々の方が、リアルだし、いろんな話もあってそれはありだろう。と。
そんなようないろんないろんな話をして、
原発の話にやがて行き着く。
のぎさんが原発にやたらと詳しくて、とってもわかりやすい説明をしてくれた。
そこで、最近の六ヶ所原燃反対!の動きについてもきいてみた。
わたしの小さいときに、建てる前になんでもっと反対運動が盛り上がらなかったのかと。
そして、今の盛り上がりに乗っかって、自分を売り込もうとしているアーティストも中にはいるのではないかと。
まず、なぜ今になって六ヶ所反対が盛り上がっているのかということもとってもわかりやすく説明してくれた。
逆に反対することにアートがいらんのでは?と思う。直接反対と言おうよ。
ただ、入口としてなんも知らん若者たちなんかが興味を持ってくれることはとてもよいことだと思う。
だが、こういう今注目の問題にのっかって自分の変なアートを正当化しようというヤツは結局美術館のうんこと一緒ではないか?
というところでいいかげん眠いのでおひらき。
また次の機会に議論は持ちこされる。

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泉谷しげる説明会の記憶

Zumiya
泉谷しげる説明会という名の無料ライブというか、ライブこみの泉谷さんのプレゼンがありました!「俺を使ってなんかやってみろ!!」という説明会です。
横浜はもともとごっちゃなとこだからそれを一つにまとめようとしても無理だからごちゃごちゃの俺がくればなんとかなるかなと。みたいなプレゼンの後、ライブへ。
ライブがぐっと来ました。
これは泉谷ファンの竹本父にきかせなければと、電話をかけて通話中にしてきかせときました。
喜んでました。
最初に歌った歌の詞がかなり心に刺さりました。
生まれのせいにして自分の限界決めるな。
世界のせいにして自分の限界決めるな。
過去のせいにして自分の命捨てるな。
出会いのせいにして自分の命捨てるな。
みたいな詞だった。(間違えてるかもだけど。こんな感じ。)
あいかわらずの泉谷ぶしでかなり元気もらいました。

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