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2013年12月13日 (金)

そういえば中学の頃の美術。

今日チエン堂の開店作業をしていたら、写真家の北村夫妻が通りがかった。

このあいだのちょうぷくちゃんまちあるきを撮影してものをCDにやいてくださった。

「もうイベントないの?」と言われ、

「光のぷろむなあどが明日明後日あるんです。」と、話したら、

「蒔田中なんかにもよく行ってるの?」ときかれ、

「そうなんです。蒔田中と共進中の美術部となにかつくる役なんです。でも、美術がもともと好きな子たちだから、
私が何もしなくてもどんどんやってるんです。」

すると、奥さんが、

「わたし、中学にあがったとたん、美術が嫌いになったの。」

という話をされた。

「私も教育学部の教育心理学で習ったんですけど、小学校と中学校のつなぎがよくなくて、美術に苦手意識が生まれて、トラウマになる人多いみたいです。」

という話をしたら、

北村さんが、
「中学の美術なんか、何か課題とか美術史とかしかやってた覚えしかないなあ。」

という話から、

すっかり忘れていたが、自分の中学のときの美術を思い出した。

私は中学に入って美術部に入部したが、才能を認められたのはいいが、どこへ行くにも美術部の先生が追いかけてきて、「絵をかきなさい。」といわれた。

全校生徒が見ている前で委員会活動中に私の手を引っ張り、「こんなことしてないで絵をかくんだ。」と、器具庫に連れて行かれてがんがん説教されたり引っ張られたりした。

手をはらいのけたら
「私をはたいたわね。」
と、怒られ、職員室に連れて行かれ、学年部長の席に座らせられて、「美術部をやめません。」
とかかされた。

私は美術部をさぼったことは一度もないのに、このようなことが起こり、ホームルーム時間にもいない私を担任が不思議に思って、それで、親にも来てもらって美術部をやめることができた。

絵はとても好きで勉強したかったけど、ふつうの中学生活が送れないと思ったので部活をやめて、水泳部に転部した。

私にとって絵をかくことは空気をすうことと同じくらい生活に溶け込んでいたので、部活をやめたから絵をかかないということにはならなかった。

しかし、美術部員だったときは5だった成績がやめたとたんに、1や2になった。

まともに提出してもきちんとした評価をしてもらえないので、2年3年と一切課題を提出したことはない。

3年のとき家庭科で、絵をかく課題が出た。

コンクールに出すので締切が決まっていたが、気が乗らなかったのか、わざとだったのか(わざとではないとは思うけど)締切後に出して、
「こんなにかけるのになんでもっと早くださないの。」と、ひどく怒られた。

こんな経緯から、私にとっての美術教育とは「くそ」でしかなくて、中学校時代何か勉強したつもりでいたけど、(描いたものはたくさん残っているので)そういえば課題なんてものは一回も出したことがなかったのだと改めて再発見した。

美術教育に対する考え方が変わったのは、弘前大学に入ってからで、楽しい美術教育もあるのだと知った。
その楽しさをどうすれば伝えていけるのかと、ゼミでみんなと夢中になって話していて、どんどん美術がライフワークになって、夢中で走っているうちにいろんなことを忘れ去っていた。

強烈な美術の先生から受けたトラウマは忘れることはできなかったけど、課題を全く出していなかったことを思い出した。
よくやりすごせたもんだ。

そんな自分が中学校美術部に行くことになって何か一緒にやることになるとは、なんという運命のいたずらというか、面白いめぐり合わせだというか、今日、北村夫妻に出会っていろいろ話さなかったら、光のぷろむなあどを目の前にして気がつくことはなかったかもしれない。

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