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2013年12月29日 (日)

実家の夢を見た。

最近私の父親は、まだきちんとしている方なのだがところどころ認知症が出てしまい、三ヶ月ほどの入院を経て施設へ入所した。

94歳になる祖母はむしろ父親よりもしっかりしているが、足腰が弱くなりよく転倒するようになり、家事もままならなくなったので、こちらも施設へ入所した。

私が高校生のときに起きた「三陸はるか沖地震」の影響で、もともと手抜き工事をされたようだった私の実家は半壊とまではいかないが立て替えを余儀なくされた。

しかしながら立て替えてローンができた頃に父親のリストラなどでこの場所も手放すことになった。

私が大学在学中で実家を既に出てしまっている時にに立て替えをしたので、実家が夢に出てくるときはいつも最初の家の状態である。

今日見た夢は外観は立て替え後の状態だけど、間取りが元の家のままだった。

正月に帰省したところ、今までのように祖母が台所に立ち、父親が自家用車でどこかに連れて行くと、車に乗って私を待っていた。

祖母に違和感はなかったものの、父親は運転してはいけないはずで、そのことも忘れてしまっていて、しかし運転する技術は持っているわけなのだが、

「お父さん、運転しちゃだめだよ!免許もないはずだよ。」と言って止めると、「え?そうなの?」と夢の中の父親は免許をごそごそ探し始めた。

でも、夢の中の父親は車の運転が好きだった若い頃の父親で、車も今はないだいぶ前に廃車にしてしまったものだった。

夢から覚めて、もう戻らない風景であることを思って悲しくなった。

でも、もと実家の夢はたびたび見てしまうと思う。

今年は自分にとってもいろんなことがあった。

長いあいだある種の依存関係にあったような祖母と父親の関係も切り離してみると、意外と穏やかな結果になり、その関係性が私たち三人兄妹の成長に大きく影響を与えていたことも実感させられた。

一方ではその生きづらさを病気と認識してしまい、そちらの方向へどんどん手続きを進めてしまっている者もいれば、淡々と状況を整理しようと動いている者もいる。

今年の後半になってから、なぜだか、福祉や教育の現場に携わることが多くなった。
おそらく来年はもっと増えるかもしれない。

黄金町で活動するなかで時々声をきく「アートはわからない。税金つかってわからないものをやって。」と批判する人が、いかに一定の価値基準のなかで制限されてきた状態で教育されてきたのかということを、教育現場にアートを持ち込むことでなんとなく理解できたり、

子どものころから感じていた生きづらさだったり、自分は障害者なんじゃないかと疑うくらいクラスの皆がスムーズにできても自分が理解できなかったり全くできなかったりすることがあったりしたが、これも、教育現場や障害者と接することで、ある一定の評価基準やラインをはずれることでそんなに差はないのにそういうふうに認定されてしまったりするのではないかと考えたり、

認知症だと判断され、病院でいろんなことを制限されながら生活している父に、病院に入る一ヶ月前にギターを持たせたらベンチャーズのパイプラインを今でもきれいに弾けたり、

「竹本さんのこういうところがよくないから直したほうがよい。」と言われたときに、
反省しつつもそれをよくないとする風潮はどこからきているのだろう、教育だろうかと考え、かつその部分に蓋をした場合、自分はおそらく創作活動はできなくなるだろうと考えたり、

など、

いろんなことがパズルのように関係性を持って私の目の前に現れでたような感じだ。

弘前大学で学んだ教育理論だとか、教育心理学だとかが根底にないとできないこと、気がつかなかったこともあると思う。

教育学部で勉強してみて、この仕組みのままで働かなければならないのであれば、自分はアートを介しての方が力を発揮できると思ったのが、美術の道でいくことを決めるきっかけだった。

不自由だとか、生きづらさは、決してマイナスにはならない。

父親は認知症になってしまったけど、ここからが本当のクリエイティブな活動が父の人生に待っているのではないかと、勝手に考えている。

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