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2013年7月21日 (日)

「美術家竹本真紀の理論・トビヲちゃんを探せについて」

「美術家竹本真紀の理論・トビヲちゃんを探せについて」

毎月第四木曜日19:30~行っている講座です。

今回は、竹本真紀が各所で行っているアートプロジェクト「トビヲちゃんを探せ」についてお話します。

「トビヲちゃん」の名前の由来やもともとのコンセプトから始まり、「トビヲちゃんを探せ」の企画交渉からの流れのお話などをします。

2013年7月25日(木)
19:30~
2時間程度

参加費¥1000(トビヲちゃんを探せ冊子2冊付)

予約していただけるとうれしいですが、飛び入り参加大歓迎です。

会場:長者町アートプラネットChapter2

http://artplanet159.web.fc2.com/about.html

予約・申込

artplanet159@gmail.com

08088245234

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2013年7月19日 (金)

おさななじみのこずえちゃんのこと。その2

おさななじみのこずえちゃんのこと。その2

実家の事情で、三日間ほど八戸に帰ってきました。
私が生まれ育った家、土地は、私が大学生のときに父親のリストラなどがきっかけで失うこととなりました。
家を建て替えて、家族が住み始めて幾年も経っていなかったので、高校卒業とともに大学進学のために家を出た私は、自分が18年間住んだ家にさよならを告げる間もなく、しばらく時間が過ぎてしまったことを強く実感しました。
大学生の頃は、寮生活をしていて、また、寮長という責務を負っており、とてつもない環境の悪さに、実家に助けを求めましたが、実家も一番大変なときで、実家に帰ることもできず、家の建て替え、その他諸々に立ち会うこともできず、自分自身も精神のバランスを欠いてしまうという苦しい時期でした。
さらに、家を失い、家族もバラバラになってしまうということは、私にとっても無念でならないことでした。
私が八戸に帰省するときは、祖母の知り合いを頼って借家に祖母、父、弟が生活しているところに泊まっていて、勿論泊まる専用の部屋もないので、仏壇に足を向けて狭いところにぴたっとはまって寝るという状態で、だいたい体が痛くなります。
ここ、数年のあいだに、もとの家のお隣さんだったひとつ上のこずえちゃんが亡くなったという噂をききました。
同級生の人も、同じ部活の人も死亡広告で知ったらしく、詳細は誰も知りませんでした。
近年、パニック障害などを持っていて、仕事に出られないでいるということもきいていましたので、何か、不穏な死をとげたのかと、いろいろ想像しました。
こずえちゃんはほとんど男みたいな女の子で、いつの間にか毎日一緒に遊んでいました。
学校から帰ってきたらまず、一緒にこずえちゃんの家で宿題をして、(なぜかこずえちゃんのぶんまでやらされていたような気もします。)遊びに出かけます。遊ぶ場所は近所の保育園か、空き地か、ドブ川です。
こずえちゃんは男らしく生きることを私に強要してきて、私もなぜかそれに従っていました。「アホアホ体操」というアホな体操をあみ出して近所のみんなにやらせたり、変な儀式をつくってキモ試しのようなことをしたり、こずえちゃんはいつもおかしなことを考え出してアホみたいに笑って毎日遊んでいました。
小学校四年生くらいのときにこずえちゃんから、「ノストラダムスの大予言」を聞かされ、おそらく、人生で始めて、人間は死ぬんだ。ということを実感しました。
それから、こうしちゃおられん。と、私は、猛烈にマンガをかく時間に全てを捧げだし、(マンガ家になりたくていつもマンガをかいていました。)こずえちゃんたちとは一切遊ばなくなりました。
たぶん、それから、こずえちゃんとはそんなに接点がなくなってしまいました。
しかし、なんとなくは気になっていましたし、私の幼児期の人格形成は、こずえちゃんによってされたといっても過言ではありません。
ふと、お線香をあげに行こうと思い、今回、誰かおうちにいるのかどうかもわからないけど、行ってみようと思って出向きました。
足の悪くなった祖母が、「私の代わりに持って行って。」と、お香典を私に預けました。
こずえちゃんと、最近亡くなった近所の祖母の友人の静江さんの旦那さんの分とということでした。
こずえちゃんのおばあちゃんか、静江さんに会えれば、どちらかに渡してくればいいよ。とのことでした。
雨のなか、とことこと歩いて、私はもと実家の場所へ向かいました。
こっちの道はどうなっているだろう。こちらはどうだろう。と、ちらちら見ながら歩いて行きました。
以前も帰省の際に来てみたことがありました。
自分の家だったところに別な人が生活している違和感を受け入れられずに、なんとなく虚しい気持ちで帰ってきた覚えがあります。
しかし、今回は、ゆっくり踏みしめながら歩きました。
でも、やっぱり自分の家だったところには足を踏み込めずに帰ってきました。
そして、なぜだか、涙が溢れ出てきました。
今回の帰省の理由も相まってですが、家がなくなってから、なんとか家や家族を取り戻せないかとそのためには自分が頑張らなければと走ってきましたが、あっという間に10年以上が過ぎ、何もできていない自分の不甲斐なさというか、戻らない環境への悲しさというか、この場所にきちんとお別れできずに走ってきた自分の今だとかが、一挙に溢れ出でしまったのでしょうか。
とにかく、気を取り直して、こずえちゃんの家に行ってみると、誰もいないようでした。
こずえちゃんのうちの前に立つのは、もしかしたら、小学校四年生以来で、自分でも全く覚えていなかったこずえちゃんの家の前のちょっとした構造物に懐かしさを感じました。
お向かいのおうちにきいてみたら、こずえちゃんのおばあちゃんも亡くなってしまって、息子さんがたまに来ているくらいで、誰もいないとのことでした。
静江さんのおうちをきいて、そちらに向かいました。
静江さんはご健在でした。
子どもの頃に見ていた静江さんの印象よりは、だいぶお年を召していましたが、元気な調子は全く変わっていませんでした。
こずえちゃんの最期の話をきくことができました。
こずえちゃんはお酒を飲むのが大好きだったそうで、しかも豪快にお酒を飲むそうで、職場の方たちと楽しく飲んで、帰宅して、こたつに入ったまま、心臓発作のようなことで亡くなったとのことでした。
今となっては、笑い話のようにもなっていて、心を病んで亡くなったのではなく、子どもの頃のあの豪快な印象でそのまま逝ってしまったのだときいて、安心したというか、らしい。というか、胸のつっかえが取れたような形で、帰ってきました。

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こずえちゃんとよく遊んだドブ川は今は舗装されています。
でもあとはそのまま。
かっぱがいるだとか、柳の下に幽霊がいるだとかいって遊んでいました。


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こずえちゃんの家の前にあるちょっとした構造物に懐かしさがこみ上げました。


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2013年7月 1日 (月)

初黄日商店会との関わりと自分の仕事のこと。

黄金町バザールのプランは落選したのだが、(いままで受かったことなし)発表前に地域の人にこんなことを考えていると話したら、「ぜひやろう。」ということになった。
アーティストとしてまちで何をするかではなく、まちが抱える問題をアートでどのように解決するかをコーディネートするのが自分の仕事の仕方なので、プラン出して審査員を見た時点で受からないだろうとは思っていた。
なので意外にまちとアートの文脈で出てくるようになった私だが、アーティストとしてまちに作品を仕掛けるということでのたち位置には実は立っていないのかもしれない。
アーティストとして自分の方から何かやりたいとするとしたら、むしろまちと関わらずにアトリエにこもると思う。
美術家としてやっていこうと決めてから自分の美術史的なたち位置についてたまに考えるが、何年か経ったとき本線には出てこなくても、美術史上の人物を調べているとなぜか時々小脇に出てくる竹本真紀って誰なんだろう。と気づくか気づかないかの人が出てくる程度にはなれるだろうという確信はある。
先日、美術業界で名のある人がきて、俺は業界ではすごいんだ。という空気を出されたが、多分このまちでこの人を知る人はほとんどいない。そして美術では食べれてないようだった。ピュアアートはお金にならないみたいな、美術業界では難しいみたいな話になっていたけど果たしてそうか。
昔から知っている業界人に囲まれて、面白い、面白いと言われていたけど、この人を知ってもてはやしているコミュニティの狭さを目の当たりにして、ある意味温かい環境だけど、それが美術界の仕組みだとなぐさめあっていてもしょうがない。
初黄日商店会に関わったことで、当たり前に個人商店のおじさんたちと対等になれるくらいにはなりたい。と、必死に追い付こうとしたり、ときにはこちらが先導したり、この関係性から私は私の方法論を探りたい。

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