« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »

2012年10月30日 (火)

作品を見るまっすぐな目。

ちりめんやに来たお客さんに

「黄金町バザールは、今回は、結局、もともとの性欲がどうだ。とか、そういう方向にいってるんですか。」

と、突然聞かれてびっくり。

「いや~、私が見る限りそういう作家さんはいないような。。」

「私もまだ作品全部見てないんですけど、そういうブログを見たんです。」

ああ、自分の作品をそのような評価で書かれて、普通に作品として見てほしい。

最初にそういうイメージをつけられるのは嫌だ。

と言って、落ち込んでる人いたけどそれかな。。と。それを直接お客さんに話した。

まだ、少数の方が見てブログに書いているのがばーんと出てしまっているのかもしれないけど、色眼鏡でなく、きちんとした目で見て書いてくれる人が会期中増えるといいな。

落ち込んでいる作家と話をしていて、数年前の、東京枝川で行ったアートイベントのことを思い出した。

枝川というところは、昔の朝鮮部落で、複雑な歴史を持った場所だ。

しかし、地元の焼肉屋はめちゃくちゃおいしいし、地元の方々も非常に明るい。

朝鮮学校の建て替えに伴い、取り壊す校舎で、有志のアーティストが展覧会を行った。

私は、ひとり、街へ出た。

学校がまちと密接な関係で成り立っているからだ。

そこに、美術ジャーナリスト村田真氏が来た。

辛口な批評をアートスケープに掲載し、出展者の一部がひどく反発した。

しかし、私は、それに対しておせっかいながら、こう言った。

「当たり前の展覧会として、このイベントを見て、美術館で見た展覧会と同じように評価し、それをアートスケープに掲載する。それが彼のこのアートイベントに対する姿勢だ。」と。

| | コメント (0)

2012年10月25日 (木)

心地よすぎるがゆえの絶望。

数年ぶりの再会を望んである方へ会いにいった。

しかしながら、飲み会までついていったのに挨拶できなかった。

今の自分で挨拶してなんになるんだろう。と、思ってしまったのと、まあ、昔からなんとなく会うと緊張していたな。
というのと。

あいさつしなきゃ、あいさつしなきゃ、でも、でも、、、と思っているうちにいろいろ思い出した。

以前アルバイトしていた美術施工会社は彼女のおかかえ会社で、彼女は絶大な信頼を寄せていて、入札などがなければ、だいたい指定してくる。

バイト先の会社と彼女は、信頼関係のあるチームで、よく現場のあとにお酒も飲んでいた。

私はまだまだ仕事ができず、ついていくのに必死だったし、今よりもっともっと尖っていたし、仕事が終わったらいち早く帰って制作したかったので、現場仕事以外の交流はちょっとしかなかった。

働いてしばらくしてから、上司が、私を彼女の前で、
「こいつは何年かぶりに面白いやつだから覚えといてくれ。」と言った。

彼女は、「わかった。覚えとく。」と言った。

それから数年後、彼女とZAIMで会った。

挨拶したらちゃんと覚えていてくださった。

だから昨日挨拶して話をしても、快く、お話してくださったろうと思う。

でも、なぜか、挨拶できずじまいだった。

挨拶したいと思ったら、なんだかんだつっこんでいく自分だけど、なんでだろう。と思った。

いろいろ思い出した。

私は、彼女の仕事の仕方も好きだし、つくる展覧会も好きだ。

彼女の仕事の現場は、一番たくさん経験させてもらったかもしれない。

しかし、あるときはっとした。

自分の憧れていた最終ステージがこれなのか。と。

ここの現場行ってもあの現場行っても、選ばれるものはこういうものなのか。と。

そうであれば、美術って面白くないかもしれない。とそのとき思った。

大好きな現場なのに、そう思った。

嫌な人、いじわるされた、センスが悪かった。などはすごく強烈に覚えていて、努めて避けるけど、心地よすぎるゆえの絶望というのを経験したのだと思う。

おそらく、そこから私のなかで何かが始まった。

まちに関わっているというのはそういうことからだ。

ただただ、お人好しで関わってるとかではなくて、私は、美術館のなかでの絶望からスタートした方向がまちだったのだ。

あとは、いろんな忙しさにかまけて、自分の作品づくりに集中できていない。というところも、何か負い目があったのかもしれない。

ただ、わかってくれてる人にはわかってもらっている。

伝わっている人には伝わっている。

いろんなものが削ぎ落とされたきれいさでは語れないものがあるはず。

うそにならないようにしよう。という表現を心がけている。

| | コメント (0)

2012年10月23日 (火)

黄金町バザールはみんなでつくるもの。

黄金町のまちづくりは、NPO法人黄金町エリアマネジメントセンターが中心で行っている。

事務局長が山野真悟さんで、普段の窓口が事務局なので、事務局主導に見えるが、実は、地域の理事や、市役所、区役所、警察、京急などと、連携をはかりながら物事を進めていっている。

どうしても、窓口になっているような人間のところへクレームや要望はいくのだが、実は、大きな組織で物事が動いている。

毎月協議会定例会というのがあるので、これは外部の人間でもきくことができるので、この会議に出ているとなんとなく雰囲気はわかると思う。

山野さんは、人に思いをあまり伝えずに、自分の中で黙々と作業を進めていくところがあるので、わかりにくいところはあるが、

最近、「黄金町をアーティストレジデンスのまちにする。」という目標をかかげた。
あとは、「このまちで活動している人たちがきちんと商売になること。」というのがもう一つの目標だと思う。

商店の方も、入居者の方も、今まで、事務局の行うことに協力するという形でついてきたところがあったので、感謝もありつつ、不満や批判もあったと思う。

まだまだ長期的なまちづくりになるとは思うが、市からの補助金が減っていくなか、やはり、いつまでもNPO法人黄金町エリアマネジメントセンターにぶらさがっていけるわけもないし、事務局そのものもキツキツの人件費のなか、スタッフが奔走しているという状況だ。

そこで、発足したのが初黄日商店会。

NPOが頑張ってくれてるから、自分たちももっと自立していかねば!という活動が始まったわけだ。

今にもどこの店がたたむことになってもおかしくない商店が、自分たちの意志で立ち上がったわけだ。

入居者のなかにも、一部、NPOがこうしてくれない。ああしてくれない。という人がいたが、新規で入ってきたアーティストが、とにかく自分の仕事を夢中でやる方が多く、空気が入れ替わってきているのを感じる。

NPO法人黄金町エリアマネジメントセンターが、「黄金町バザール」という枠組みを作ってくださっているのであれば、そこに入居しているアーティストも、お店も、町内も、それをネタにどんどんいろんなことを仕掛けていける。

そんな大きな度量を持ち合わせているのが、今年の黄金町バザールのいいところであり、今までのバザールと一味違う楽しみ方だと思う。

つまり、それは、来場者の方々も参加できる余地がたくさんあるということ。

そして、黄金町バザールが終わっても、このまちはある。イベント会場みたいに、箱がそっくりなくなるわけではないということ。

つくられたまちに住むのでなく、自分たちでいくらでもつくっていける可能性があるということ。

それを楽しめる寛容さと、現代アートを楽しむための寛容さは共通していると思う。

来場者さんのニコニコした顔を見て逆に教えられた気がした。

一度来ても楽しめるけども、何度もくるとより楽しめるスルメのようなアートイベントだと思う。

(バザール終わっても来て欲しい!)

| | コメント (0)

2012年10月21日 (日)

黄金町バザール2012が始まっています。

今回主に関わっているのは、初黄日商店会のコーディネート。

ボヘミアンクラフトさんによる商店会が一目でわかるMAP.

加盟店に貼られた吉田しんこさんによるステッカー。

商店会の自慢の一品を集めた町土産セットなどなど。。

突然とびこんできたのは、展示アーティストのためのカッティングシート切り文字作業。
もと施工屋さんとしては、展覧会前のおりゃ~っという作業がテンションあがります。

自分も一応出展作家なので、ちりめんやで展示。
展示というよりは、この場所は進行形の場所なので、そのような見せ方をしています。
作品というよりは、私が拾ってきた要素について参加アーティストや来場者、街の人とコミュニケーションするような場です。
初めていらっしゃる方にも、ちりめんやが日常的に、こういうコミュニケーションを取る場になっていることを体験していただければと思います。

また、黄金町バザール2012にぴったりのお土産も取り揃えています。

ぜひ、黄金町バザール2012にお越しの際はちりめんやにも足を運んでください。

| | コメント (2)

2012年10月 2日 (火)

まちに作品を設置するということ。

「まちに沿って制作していますよね。」と言われたが、もともと自分の中にコンセプトの柱が一本あって、それを実行するためにまちへ出たら、たまたままちおこしの方に呼ばれてやってみたらうまくいったのでその流れでやっている。

名古屋で出会った九州から来たのこされ劇場の市原さんは、演劇でそれをやろうとしていて、結果、彼も、まちおこしのようなことに関わっているようだった。

私は「アート」というものはある程度迷惑なものでなければならない。と思っている。
しかし、それは害のない迷惑でなければならない。

どんな素晴らしいものでも必要のない人にとってはゴミ。というような価値基準の世界だ。

まちに貼ってあって竹本キャラが認められてるような印象はあるかもしれないけど、交渉のあいだ、かなり迷惑がられることもあるし、怒鳴られたり説教されたりすることもある。

まちに沿っていたとしても、自分の柱は決して崩さない。

アートはある程度迷惑なものでなければならない。しかし、それは害のない迷惑でなければならない。
誰にとっても心地のよいものに落ちついているもの、または、これはアートだ。と言って、相手が迷惑しているのに、ある価値基準を押しつけようとするものについてもアートではない。と、私は考える。

| | コメント (0)

« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »