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2012年9月28日 (金)

アーティスト失格。

昨日の黄金町芸術学校での山野真悟「アートプロジェクトのつくりかたvol.3」は非常にためになりました。

その中で、山野さんが、黄金町で制作するアーティストに、「黄金町だから、これ、というものではなく、本当に作りたいものを作りなさい。と言ってます。」という話をしました。

私も、実際、アーティストに何かオーダーしたり、作品を展示してもらったりすることがあるのですが、私もやはり、同じようなことを言います。

できもしないのに、このまちに合わせて、、なんて言ってる人はすぐにお見通しなので、「ホントにそれ作りたいの?作りたいもの作ってよ。」と言ってしまいます。

そもそもそのアーティストが作ったものが面白いと思ってオーダーしているわけですから。

ただ、アーティストとしての自分はどうかというと、最近は、このまちだから、これ、この場所だからこれ、という作品が圧倒的に多い。

先日、あるコンペに応募しようと思って、自分の作りたいものをつくろう。と思って考え出した結果、何も浮かんでこなくて、ある意味、自分にとっては、その方がウソになるような気がしたのです。

つくりたいもの。というか、こういう感触で、ものをつくりたい。というのはあります。

大きい絵がかきたいと思う。けども、この絵がどうしても描きたいという絵がない。

具体的になにというのはないけれど、布に触りたいとか。

作品レベルにいかないようなやりたいことはやまほどあるのです。

自分自身の作品を追求するというよりかは、そこの場所で自分が人のために何ができるか。ということが自分にとっての一番の課題になってしまってるのかもしれません。

ですから、意地になっても他のアーティストを押しのけて前に出たいというアーティストもいるなかで、その競争に参加することができないのです。

(しかし、こつこつやっているなかで、どうしてもネームバリューや、経験値の高いアーティストさんが全部かっさらっていってしまう状況というのは、ひどく悔しかったりもするのです。)

自分自身の切迫した問題というのが、「ちりめんや」をやったり、「CHAP」をやったりしているうちに、
より、まちに沿ったものになってしまっているということなのかもしれません。

以前、ちりめんやの二階にレジデンスする映像作家の志村くんが、自分がまちに合わせた作品を作っていることに、疑問を感じているような話ぶりをしたことがありました。(今はどうだかわからないですが)
もっと自分のやりたい表現があるはずだ。というような。

私は、逆に、まちの人にもわかりやすく、かつ前衛的であるような作品を作れる才能を持った人はひとにぎりだと思うので、それができることは誇りに思っていいことなのに。と、そのとき思いました。

つまり、このまちでこの作品つくります。というのがうさんくさく見えてしまうアーティストと、適材適所でいい仕事をするアーティストと二パターンあるというふうに私は考えたいです。

どちらにしろ、自分はまだまだなので日々切磋琢磨、というか、日々切磋琢磨できる環境づくりをまずしなければ、という感じです。

とりとめのない文章になってしまいました。

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