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2012年1月29日 (日)

土佐正道さんとのトークで。

昨日明和電機会長土佐正道さんとトークしました。

特に打ち合わせもなく始めたのですが、結構しっかりとした内容のトークになりました。

以前からもともと美術畑ではない土佐さんが、村上隆さんや昭和40年会と同じ場所にいながらそれらを見ている視点に興味がありました。

しかし、昨日のトークから、けっこう美術詳しいな。勉強しているな。やはり場数かな。という非常に明快な美術の話が聞けたような気がしています。

土佐さんとのなれそめからトークを広げて行ったわけですが、過去を振り返ることにより、自分でも忘れていた創作のもとになったことなどが、じわじわと思いだされました。

私は美大を希望しつつも、家にお金がない、指導できる人がいない、など様々な要因から弘前大学教育学部小学校教員養成課程に進学することになりました。

それが不幸中の幸いだったというか、様々な分野の人と出会うきっかけになりました。

学生寮の同じ階だった友達に「明和電機というのがあって、札幌でライブがあるから一緒に行こう。」と誘われて行ったのが初めて土佐さんを知ったきっかけでした。

友達は人文学部で、ホームレスについて卒論書いて卒業したような気がします。

昨日のトークでも弘前大学のバレーボール部の後輩が二人やってきました。

わたしは、大学3年に、漢文学ゼミから美術絵画ゼミに移り、そこから美術の生活が始まるわけですが、追求して追求して最終的にできあがったものは、先生には褒められましたが、バレー部の友達などからは「意味がわからん」と言われただけでした。

会話べただった幼少時代、絵をかくことはわたしのコミュニケーションツールでしたから、意味がわからんで終わったら意味がなかったわけです。

そんなこともあり、ほかにも様々な理由はありますが、美術の人とつるんでいても新しい作品はできない。
と思っていた時期があり、土佐さんだったり、詩人の松井茂さんだったり、音楽家だったりといろいろやってきた経緯があります。

土佐さんとのなれそめといえば、村上隆の芸術道場がきっかけでした。

芸術道場はGEISAIのもとになったイベントで、グルーヴィジョンズ、ヒロ杉山、明和電機から一人選んで、自分の作品について批評してもらえる。というものでした。

土佐正道社長は、
「昨日かいたんじゃないのか!」と、やっつけでかいたようなことを私の作品に向かっていいました。

青森から出てきたばかりだったわたしは、かなり怒って、イベント終了後号泣しました。

なぜかこれが、土佐さんと仲良くなるきっかけでもあったのですが、このことに関しても、いろいろと自分の作品について思い出されることがありました。

「これ、自分にもかけるじゃん。」と、思わせる作品を作りたいと思った時期があり、かつ、それをそのように見せつつも工程に時間をかけるということをやっていました。

すぐにさらっとかけるモチーフを下地を何回も作り、わざと自分がかきにくい状態にしてかくということをやっていました。

トビヲちゃんのもとになった平面作品もそのように作っていました。

なので、スーパーフラットは意識せずにやっていました。

また、銀座で月1で個展をしていた時期があり、画廊まわりをしているおじさんたちに、
「わたしは、いろいろまわっているからわかっているんだよ」というような感じでよくわからない批評をされるのが嫌で、画廊まわりのおじさんが何も言えないような作品をつくりたいな。と思ってできたのがトビヲちゃんのもとになった作品でした。

これが効果があったかどうかわからりませんが、月1で個展しているうちに顔見知りになって、あまり失礼なことは言われなくなったという経緯もあります。

土佐さんとのトークの話とは離れたような気もしますが、自分の作品制作のことをいろいろと思いだしました。


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