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2011年1月27日 (木)

私の仕事

私は美術家と名乗っています。

作家なのですが、コーディネートもやります。

その辺のことで、誤解が生じたのかなんなのか、近頃興味深いことがありました。

私にとって作品制作といえば、三度の食事と同じくらい大切なことであって、死ぬまでやめるということは考えられません。
それでめしを食うか食わないかということは別としてもです。

ZAIMや、創造空間9001への関わりをきっかけに、他の作家さんのコーディネートの仕事もするようになりました。
今はどちらの比重が大きいかというと、不思議なことに、同じくらいです。

例えば、複数の作家で展覧会をするときに、全体のまとめ役というのが必要になってきます。
個々の作品をきちんと見せるためには、全体としてもきちんと見せなければならないし、隣り合わせになる作家に関しても気を使わなければなりません。

これは、誰でもできるというわけでなく、こういうことをする専門職が必要になってきます。
わたしの身近な人の例で言うと、山野真悟さんがそのような専門職の人です。

9001やZAIMでの経験の中で、わたしもそれが専門職だと言えるほどになっていることにも気付かされました。

わたしの場合は、その場所でどういう風にすれば、全体が効果的に見えるか、公益的な事業と位置付けられるか、ということを考えます。

その中で自分も展示をすることになっている場合は、基本的にはわたしは、絶対にここがいい!というこだわりがあまりないので、(グループ展の中でのことですが)だいたいが、誰も展示に選ばなかった場所や、あまった場所を使って何かやります。

わたしが作家としてよばれた場合には、専門職の方に調整をゆだねます。
そして作品の制作だけのことを考えます。

こうやって、大きい展覧会というのをやっているわけですが、中には、人にゆだねることのできない作家というタイプの方もいるのだということがわかりました。

かといって、「売れたい」ということも言うわけです。

美術の世界も需要と供給ですから、人との関わりを持ったり、人の意見を真摯に受け止めたりすることがなければ、売れるということからも遠ざかると思うのです。

売れている人ほど、こだわりをきちんと持ちつつも、他の人の話をきく余裕や、柔軟性を持っていると思います。

コーディネーターとして、厳しい決断もしなければならないので、
「この作品のままでは、お金もらえませんよ。」
ということも言わないといけないのが仕事です。

しかし、古い付き合いだったことと、年上だったということもあり、プライドを傷つけてしまったのかもしれません。

ただ、このできごとでわかったことは、わたしがいつのまにかコーディネーターの専門職になっていたということです。

作家だけれど、お手伝いやバイトでやっていると思っていたことが、必死に仕事をこなしているうちに、かなりのスキルがついていたことに気付いたわけです。

最初の方に書いたように、わたしにとって作品を作るということは、生きることと同じことなのですが、
一方でコーディネートの仕事をしていくということで、腹をくくらなければならない。
と感じました。

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「伊勢佐木警察署」展 ☆28日まで延長。

黄金町界隈のアーティストがなんと警察署で展示中☆28日まで延長。

「伊勢佐木警察署」展

日時:1月25日(火)14:00~17:00

場所:伊勢佐木警察署5階講堂

入場:無料

実は、伊勢佐木署にはいろいろお世話になってます。

9001で不審なおじさんを注意したところなぜか流れでわたしが署に連れていかれたり、

古物商免許の申請したり、

先日はペーパードライバーのゴールド免許証の住所変更に行きました。

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2011年1月21日 (金)

山野さんと山野さんの親友田村治芳さんのこと

Tamurayamano

写真は昨年11月の美学校での写真だ。

なんとなくだがシャッターをおした。

これが、田村さんと山野さんが二人で撮った最後の写真となった。

昨年お世話になった美学校元校長今泉省彦さんが亡くなった。

11月にお別れ会をやることになり、今の校長藤川さんに「山野にも伝えておいてくれな。」と言われ、
伝えたが、あまり行きたそうな雰囲気はなく、それをまた藤川さんに伝えたら、
「いーよ。あんなやつ。」と子どもみたいに半ベソで言うので、無理やりにでも連れていくことにした。

ちょうどタイミングよく、神保町で古書市をやっていたので、それをえさに連れていくことにした。

古書市に夢中になる山野さん。
「ちょっと顔出したら帰ろう。」
と言いながらも、美学校に着いた途端、受付前に座っていた田村さんを見つけ、ずっと何時間も話し込んでいた。

田村さんは彷書月刊の編集長。
藤川さんと山野さんの会話の中によく出て来ていた、癌で闘病中だった。
山野さんと田村さんは美学校の一期生で、もう一人、倉尾さんという方と三人で同人誌をやっていたそうだ。

山野さんは、このとき田村さんといろいろお話をして、後で、田村さんから、19歳のときに三人で撮った写真を送ってもらった。

19歳の山野さんは、今の山野さんとあまり変わらなかった。

大切なものをきちんととっておくことが苦手なようで、本棚に雑然と差し込んでおいたままになっていたようだ。

田村さんが亡くなった11時ごろ、何かがばさっと山野さんの本棚から落ちた。

特に気にもとめていなかったが、その後、山野さんのブログに田村さんの奥さんから田村さん逝去のお知らせが書き込まれていた。

「田村が死んだ。」
と、山野さんが一言。

しばらくたって、急に本棚に差し込んだであろう写真を山野さんが探し始めた。

「わたしは大事なものをなくすのが得意だね。この辺に置いてなかったっけ。」

と言われ、はっとして、11時頃に落下した物体を見たら、田村さんが送ってくれた19歳の頃の写真だった。

人が亡くなったときに物音がしたとか、きいたことはあるが、こういうことは実際あるのだな。と思った。

美学校では、ちょっとしかお話をしなかった。

素敵な帽子ですね。と、言ったら、「かみさんが還暦の祝いに買ってくれたんだよ。」と照れくさそうに話をしていた。

田村さんは亡くなってしまったが、藤川さんと山野さんがいつも話していた田村さんのことを少しずつ調べてみようと思った。

ご冥福をお祈りいたします。

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2011年1月 3日 (月)

あけましておめでとうございます。

みなさま、あけましておめでとうございます。

年賀状をいただいていながらまだお返事できておらず、新年早々引っ越しを控えていまして、そちらに完全に気をとられています。

また落ち着いたら日記書きます。

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