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2008年5月19日 (月)

捨ててしまった絵の記憶

大学のときに捨てて来た大きな絵がある。
100号くらいだったのだろうか。
卒業した先輩方が置いていったパネルに上からひたすらかいていたので正しいサイズはわからない。
ゼミの先生の指導を受けながら制作しはじめていたが、突然その絵だけ全く傾向の違うものをかいた。
「誰にも会わないで絵をかけ。」という言葉を真に受けてお盆も家に帰らずに真っ暗な学校に遅くまで残ってかいた絵である。
うまくはなかったが、気に入っていた。
しかし、その絵をかいている途中に突然原因不明でたおれた。
3日間点滴をうった。
それでも調子が悪かったが、友達と遊びにいったらうそみたいに治った。
先生の言う通り本当に人に会わずにかいていたからだ。
それくらい集中してやりなさい。という意味の言葉だった。
その絵の色が暗い、にごっているという先生の言葉で自分とは気に入っていない派手な色を塗ることになった。
国吉みたいな色を塗りなさいと、画集を先生が持って来た。
後々このことは勉強にはなったが、その絵だけはたおれた瞬間にできあがっていた状態が気に入っていたので、その色を塗ってからというもの、もう、いじりたくなくなって放置した。
それからその絵の放つ気に、逆に自分がのみこまれそうな気がした。
そして学校の粗大ゴミ置場に捨てて来た。
持っていたくなかった。
その絵は今となっては写真しか残っていない。
数年前、自ら命を絶った親友がすごく身震いをして「いい絵だ。」と言った。
先生には誉められなかった絵だけど、妙にひきつけられる人が多い絵だった。
いろんな人に捨てなければよかったのに。と言われた。
なんとなく、この絵にヒントがあるような気がしてまた写真をひっぱりだしてきた。
最近かきたいものはこの絵に似ている。
美術を始めてから作風は変わってきたが、わたしの作品の根底にあるテーマはずっと変わっていない。
小学校のときかいていたマンガくらいから変わっていないかもしれない。
今週の週刊÷3には、わたしの原点は、クリィミーマミの設定資料集だということをかいたのだが、(更新前にここにかいちゃったけど)美術のきっかけは、松本俊介の「Y市の橋」だ。
その絵が誰がかいたものかわからずに小学校のとき模写させられた。
でもとても気に入った。
大学に入ってから、その絵が誰の絵か急に気になり始めた。
村上善男先生のお部屋だったような気がするが、ある日ふらっと入って、ある画集を手にとり、何気なく開いた場所に「Y市の橋」があった。
今考えても不思議な体験だった。
それからわたしは松本俊介に縁がある気がしてならない。
そして盛岡で松本俊介展が開催されたときについに本物に出会ったのだった。
その瞬間、くぎづけになって動けなかった。
わたしにはこの風景と、心象風景がどこか重なることがあるのだろう。
実は今住んでいるところも小さい頃から何度も夢に出て来た場所に近い。
前世はこの辺に住んでいて、お墓もこの辺にあるんじゃないだろうかと、住んですぐに思った。
ブルーハーツの歌にあったけど、今まで覚えたこと全部でたらめかもしれないと思ってみた。
自分を原点に戻して、ホントは何を一番いいたいのか、わたしの場合は理論が先にたつと一歳つくれなくなってしまうので、とにかく吐き出しているところだ。

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