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2007年8月27日 (月)

通り道の記憶

駅までの行き帰りの道に一軒家がある。
そこにある日、「忌中」の文字があった。
誰が亡くなったのだろう。
町内会掲示板を見た。
70歳代の男性が亡くなったらしい。
何度か見かけたおじいさんだ。
おじいさんは黙々と何かを作っていた。
竹ヒゴを格子状にしていって、大きな舟のような形のものを作っていた。
表情は真剣そのものだった。
楽しんで作っているというよりは、とにかく無言で着々と作業していた。
そこの前を通るたびにその作業が気になった。
完成したとき、おじいさんは一仕事終えた。というようにその造形物をじっと見ていた。
それがなんなのかわからなかった。
しかし、その数カ月後、その、たけひごに植物が生い茂っているのを見た。
菊だろうか。小さな花も咲いていた。
あまりの素朴な美しさに息を呑んだ。
なぜかその様子は一日しか見なかった気がする。
どこかに出品したのだろうか。
「忌中」の文字を見て、そのときの感動や、おじいさんの様子を思い出していた。
あれがおじいさんの遺作だったのだろうか。
生きることと表現すること、うまい言葉が見つからないが、有名とか無名とかそんなことではなく、必要だから作っているんだ。
そこに純粋表現があるのだ。
今日、そこの家の前を通ったら、外階段の踊場に、ケースに入った上品な乳飲み子をかかえた日本人形が置いてあった。
ケースの上にはきれいな白い布がかかっていた。
気味も悪くないし、人形のサイズも姿も上品だった。
なんらかの理由でそこの家の人がそこに置いたのだろうが、粋な感じがして良かった。

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2007年8月15日 (水)

メゾン・ド・ヒミコの記憶

メゾン・ド・ヒミコをやっとみました。田中泯サイコーです。
何がよかったとか、批評めいたことはかくつもりはなく、
普通におもしろかったです。
というのも、軽く、こうだった。とかけないくらいの深いテーマを感じました。
死にゆく姿を見せられたことで、逆に自分の生き方についてすごく考えさせられました。
そして、何が目的でものを作っているのかということを見失いかけていた最近のわたしでしたが、初心に帰った気持ちがしました。

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2007年8月13日 (月)

MA集合。

お盆休み初日だっつーのに、MAの三人がお部屋に集結。
各自作業していたが、いつのまにか飲み会に。
お隣のジャーナリスト兼画家はしょーもない下ネタ連発。
最近けがして三針縫った山野事務所の留守番は、傷みせたがってて、ジャーナリストとの昔縫った傷と見せ合いっこ。
そのうち、わたしの家族、弟妹の話からキリストの墓の話になり、青森県のすべての市町村の説明の載っている本を出してきて青森の祭とか、新郷村(キリストの墓のあるところね)の話を説明。
さすが、青い森の特派員。みんな青森に来たくなっていた。

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2007年8月11日 (土)

久しぶりの銀座

知人の展覧会が二件あったので、久しぶりに銀座へ行った。
街並も少し変わっていて、あるべきところにあったギャラリーもなくなっていた。
一件目はギャラリーSOL。50人くらい出してそうなグループ展だった。
最近、大病をした野村雅美さんの復帰展でもあり、本人も会場にいた。
野村さんとは小野画廊で隣同志になってからずっとお互いの個展を見に行ったりしている。
野村さんはスタジオミュージシャンであり、LIVE活動も精力的に行っている。
元気そうでよかった。
他に、前の仕事で一緒だった秋葉剛君の作品もあった。
次は藍画廊で、わたしのもと上司でもある清岡正彦展に行った。
およそ一年ぶりの再会であった。
二週間の展示で、一週間目が終了。二週目は展示を変えるとのこと。
前回みたスペースより小さかったが、かなり整理されていてなおかつ盛りだくさんで、充実した展示だった。お互い頑張るぞということで固い握手をかわしてその場を去った。
その足で西荻窪のニヒル牛へ行く。
前回納品したTシャツが売れてなくて落ち込む。
新しくくるみボタンを納品。
ポストカードはなんとなく売れてた。
ニヒル牛2によって三浦謙樹さんの作品をチェック。
三浦さんは清岡さんの作品も買っているということで、藍画廊でも話題に出ていた。
おばげ展を見た。
あまりにも作品が売れてないことにいろいろ考えながら帰る。
清岡さんも、この間会った山野真悟さんも「竹本はなんとかなるよ。」という。
でも、なんとかなってないぞ。
横浜市は、横浜市からプロのアーティストを発掘すると言っているが、今のやり方だと不十分なところがあり、横浜市の発想は良いが、これまでのお役所気分をどこか切らないと本当にアートで食える人を育てるのはむずかしいと思う。
東横線、桜木町跡地で働くにあたり、役所の一部に入るわけで、そんな役所的な部分に従わなければならないところも少なからず出てくるのだから、そこをうまく足並そろえながら本当にアートで食える人間を発掘していけるようなことを実践していかなければならないと思う。
そんな、いろいろ考えながらひとつの決断を自分にくだした。

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